ペットの魂は死後どこへ行く?夢に出たり気配がする!前より近くにいる気がするのはなぜ?虹の橋は実在するの?

先月、愛猫が亡くなりました。
17年3ヶ月ほどの生涯。猫としては短くはありません。が、もう少しでも一緒にいたかった、、。

1週間ほど涙が止まらず、ペットロスに苦しみましたが、小さな子供もいるので、泣いてばかりもいられません。

立ち直ってきましたが、未だに、ふとした瞬間に、愛猫の姿がそこにあるような気がしたり、死んだときを思い出し、寂しく、愛しくなります。

ペットの魂ってあるのでしょうか?死後の世界って存在するの?
愛猫の死をきっかけに、動物や人間の命や死後の世界について、真剣に考えてしまいました。

今回は、愛猫が死ぬ瞬間や、死ぬ数日前に起きた不思議な体験を通じて感じた、魂の世界について書きたいと思います。(下に続く)



猫の死の瞬間、魂はどこに行く?死後や死ぬ直前、飼い主の私が体験した不思議な現象を体験談で語る!




○虹の橋とは?本当に存在するの?


人間に特別な愛情を注がれたペットだけが行けるという楽園が、虹の橋の向こうにあるそうです。

「虹の橋」は、スコットランドに伝わる、作者不明のポエムだそうです。

その詩を読んだ感想は、賛否両論あるようで、素直に感動し涙する人もいる反面、気持ち悪いと不快感を覚える人もいるようです。

ポエムの内容は、ざっくりいうと、下記のような感じです。

人の愛を受けた動物は、死後、虹の橋を渡り、楽園に行くことができる。
そして、そこでは、美味しいものや仲間に囲まれ、楽しく遊んだり、恐怖のない世界で幸せに過ごせる。

しかし、ひとつ足りない物に気づいて悲しくなる。それは、愛する飼い主さんがいないこと。
それに気づいた死後のペットの魂は、飼い主さんを待ち続け、いずれ、二人は再会を果たす。

というような内容でした。

このどこに不快感を感じる人がいるかというと、まず、いかにも作り話で嘘くさいという意見や、飼い主がいなくて悲しがるペットがかわいそうという点のようです。

私個人的には、嘘くさいかどうかは、信じる人が信じればいいと思うので、気になりませんでした。
死後の楽園でペットが自由に戯れ、光る草原を走り回っていたら嬉しいなと思います。若いときの一番元気な姿で。痛みや恐怖から開放され、体は神々しく輝いてる。想像すると幸せです。

でも、飼い主を待ち続けるのはかわいそうです。確かに、こちらの世界を完全に忘れられるのは寂しいです。
たまには私達を思い出して欲しいとも思います。
しかし、寂しくて待ち続けるのは、あまりに不憫です。

私は、最愛の猫ちゃんだからこそ、死後は、自由になってほしいのです。

生きているときは、ペットとして可愛がられて過ごした反面、外に出ることはほとんどありませんでした。

多くのペット、特に猫はそうだと思いますが、生涯の大部分を室内で過ごします。犬の場合は、鎖に繋がれて過ごします。

散歩に連れて行ってもらったり、外に出してもらえることもあるかもしれませんが、人間が決めた短時間だけ。
餌や寝床に困ることはありませんが、その分、自由がないのがペットの定めです。

うちの猫も、尿路疾患を患ってからは、特定の餌しか食べることができず、大好きなお魚やチーズ、海苔、鰹節なども、匂いをくんくん嗅ぐだけで我慢していました。

死期を目の前にして、食べることすらできなくなってしまったときには、あー、少しだけならあげればよかった!あんなに欲しがっていたのに!と、すごく後悔しましたけど。

また、天気のいい日には、窓際で外を眺め、庭にいる虫や鳥などを興味津々で見ていたこともありました。
若くて元気なときに、もっと外を探検させてあげたかったなー。せめて日差しをもっと浴びさせてあげたかった、、とも思いました。

外に行けば危険もあります。
ペットとして飼われてきたからこそ、飢えや寒さ、怪我、病気などから守られ、飼い主さんの愛情を受けて、平和な環境で過ごすことができたのは間違いありません。
しかし、その反面、失ったものもあります。

体が元気な若いうちに冒険したかったでしょう。恋だってしたかったと思います。でも、発情すると飛び出して車に轢かれたりしますから、去勢をしました。かわいそうだったかもしれません。

ペットとして生きることは、猫としての本能を捨て、自立する喜びや自由を失うことでもあります。
また、生き物の一番根本的な欲求、使命とも言える、生殖の機会を失うことにも繋がります。

そんなにたくさんの貴重な機会を奪ってしまった私達人間。もちろん、ペットへの愛情があったからして来たことですが。

しかし、私は思うのです。猫にとっては、飼い主には見せない、猫だけの思いや世界があったのではないかと。だから、死後は飼い主のためではなく、本来の猫の姿で自由になってほしいと。

だから、虹の橋については、楽園があるところまでは共感してますが、飼い主を待って寂しがっているのは、ちょっとかわいそうです。



○私が、猫の死の瞬間と魂の存在について体験したこと


猫は、亡くなるとき、本当にあっけなく逝ってしまいました。

数日間、食べなくなり、前日には飲めなくなりました。無理に飲ませると、一瞬もだえて、すぐに下痢してしまい、動くこともできませんでした。

翌日は、飲むこともできなくなったのに、むりやり口に入れたら、そのまま吐いて、心臓が止まり、苦しそうな形相のまま死んでしまいました。

私は、なんてことをしてしまったのかと、自分を責めて泣きました。

しかし、その一月後くらいに、気づくことがありました。
それは、あのとき、もしかしたら猫の魂は、既にそこになかったのではないかと??

死ぬ瞬間とは、いつなのかわかりません。心臓が止まり、呼吸が止まったときだと思いました。
そういう意味ではたしかに、あの時まだ猫は生きていました。
しかし、変な感じがしたのです。

猫が水を飲んで、息が止まる瞬間、最期の力を振り絞り、ぐったりしていた猫が立ち上がり、吐きました。
目は既に数日間開きっぱなしでしたが、そのまま開いた状態で死にました。

でも、不思議なのは、死んだという実感がなかったのです。
ただ息が止まっただけ。心臓が動かなくなり、お腹が上下する動きがなくなっただけ、、に見えました。

魂が抜けた感じとか、猫とお別れするという感じではなく、物理的にただ、呼吸が止まっただけに見えたのです。

そのとき感じたのは、生物は、肺の動きや心臓が止まったら終わり。その続きなんてないということでした。
それくらい、その猫の遺体は、そのとき、空っぽな感じがしたのです。

でも、しばらくしてまた、少し不思議なことがありました。それは、猫の遺体の様子と、気配についてです。

猫の遺体をしばらくダンボールに入れて、お花を飾り、置いておいたのですが、死後数時間たっても柔らかなままで、ほんのり温かみもありました。
死ぬ直前に寝そべって息だけをしていたときと差がほとんどないのです。

その夜も、少し手足はひんやりとしていたけど、体はカチンコチンではありません。朝亡くなったのにです。

愛情を受けて亡くなった動物は、苦しんで死んだ動物と比べ、死後硬直が遅く、死んでも柔らかいままと聞いたことがあります。

また、顔に関して印象的だったことがあります。
死後は、苦しい形相でした。口を開いたまま目を見開き、吐いて苦しんだときの顔でした。

死後1時間後くらいに、あまりに顔がかわいそうなので、口を静かに閉じてあげました。すると、少し穏やかに見えました。
そして、死後2時間後くらいに見に来ると、ずいぶんと静かな顔に見えました。

口を閉じてあげたこともあるかと思いますが、それにしても、だいぶ穏やかな死相になって見えたのです。

このとき、安らかに天国へ旅立つ準備ができたのかなー。無事、魂が肉体の苦しみから開放されたのかな?もう苦しんでないといいなーと思いました。

死んだ直後は、まだ猫が、昨夜や朝と同じように、動けない状態で、生死をさまよいながら、そこに寝そべっている感覚があったのです。

死んだのに死んでいないような。それとも逆に、もうとっくに死んでいたのに、体だけがそこに寝そべっていたような、、。

しかし、猫の死相が穏やかになるにつれ、今度は、猫がそこらへんを自由に歩いているような気がしたのです。
歩いているというよりは、ふわふわと飛んでいるような、、。

もしこの感覚が本当だとしたら、猫ちゃんは、死後数時間して、魂が肉体から完全に切り離され、苦しみから開放され、真の意味で亡くなったのかもしれません。

しかし、腑に落ちなかったのは、死んだ瞬間のあの虚しい感覚です。
猫の呼吸が止まり、肉体が死んだのにも関わらず、死んだような実感が全然なかったのです。

まるで、肉体の器が壊れるのだけを見ているような感覚。魂などどこにもないと思えるような虚しさがありました。

そのときは、死後の世界なんてない。猫に魂なんてないと、悲観したものです。
しかし、実は違う理由かもしれないと今は思うのです。

猫が死んだ瞬間、ただ肉体の機能が終わるだけに感じたのは、本当にそうだったのかもしれません。
でもそれは、イコール猫に魂がないということではありません!

ないのではなく、既に抜けていたのではないかと思うのです。
つまり、死ぬ瞬間よりももっと前に、猫の肉体には、既に魂が宿ってなかったのです。
または、魂が半分以上、抜けかけている状態だったのではないでしょうか??

というのは、猫が死ぬ前々日、私は、とても不思議な夢を見たのです。



○猫の魂はどこへ行った?夢に出てきたのは、死ぬ直前に魂が抜けていた可能性?


猫が亡くなる前々日の夜中〜明け方のことでした。
それは、とてもとても印象的な夢でした。

愛猫が夢に出てきて、陽のあたるソファーに寝そべり、私と母になでなでされ、とても嬉しそうにしています。
夢の中で、ゴロゴロ言っているのがはっきりと分かりました。

2週間ほど前からまったくゴロゴロ言わなくなり、元気がないと心配していたので、ゴロゴロ言ってくれるのは、私にとって一番嬉しいことでした。

お気に入りのソファーのうえで、私と母に思う存分かわいがられ、とても満足そうな猫ちゃん。
今までも3回ほど大きな病気をしたことがあるけど、そのたびに、数日後には回復し、元気な姿を見せてくれました。

5年半前に、野良猫から夏風邪をうつされ、入院したことがありました。

私達が迎えに行くと、気配ですぐ分かったようで、廊下まで聞こえるほどの大きな声で鳴き、迎えに行くとと頭をすごい勢いでスリスリしてきました。
飼い主を待ち侘びていたことがわかり、熱い涙が止まりませんでした。

そのあと、元気になって、家に戻ってゴロゴロ言いながらソファーで寝ていた猫ちゃん。既に老猫だったのもあり、もうだめかという不安を見事に覆してくれました。
生き返ったようで、奇跡のようで、嬉しくて涙が溢れました。

その時と同じ感覚。また猫が生き返った!やっぱり元気になった!よかったね!と、母と私と猫ちゃん、3人で大喜びしていた。

すると、私がその後、暗い脱衣場で父に会い、こう言われます。
「〇〇(猫の名前)は、もうダメだよ。治らないよ。」

夢の中で、ハッと、猫がぐったりと寝そべっていて、目を見開いたまま、ほとんど動かなくなった状態を思い出します。あ、そうか、今のは夢なんだ。これが現実なんだ、、。

そう思って、ふと足元を見ると、黒い大きなゴキブリがチョロチョロ、、と影に隠れようとします。
それを、ぎゅっと父が足で踏みつぶし、そこで目が覚めました。

目が覚めたとき、少しして時計を見ると4時50分でしたから、夢から覚めたのは4時44分くらいだったと思います。
それからは、ひどい胸騒ぎと恐怖や絶望がおそってきて、寝付けませんでした。

無理に寝ようとして布団に入り、朝8時頃起きて、8時半頃下に行くと、昨日以上にぐったりとした猫の姿がありました。

父といつも寝ていた猫ですが、昨夜は、もう腰も立てなくなっていました。
それなのに、力を振り絞り、父の部屋の扉をガリガリし、夜中に入ってきたそうです。そして、父の布団にもぐり、寝たそうです。

そして、今朝は、ぐったり動くこともできず、父が抱いて、リビングまで移動させたようです。こたつの布団をかぶり、寝そべるだけの猫には、もう表情は全くありません。
空の人形のようでした。目は見開かれ、ガラス玉のような、魚のような目です。

毎朝、水をあげるのが、私のできるせめてものことでした。
しかし、その日はほとんど飲もうともしません。昨日はかろうじて飲んでくれて少し嬉しかったのに。

その日は台風で大荒れなのもあり、また、私は生理痛もあり、いろいろ重なり、体がすごく辛かったです。
猫にしてあげられることは何もないと悟り、大泣きしました。

昼間、家族がでかけていて、猫と二人きりになりましたが、見ているのが辛くて、せめて、栄養をあげたいと思い、最後の望みをかけて、ブドウ糖や乳酸菌の入った水を買ってみました。

優しい笑顔で猫に話しかけ、器に少しだけくんで口元に置いたけど、飲んでくれない。昨日は頭を上げたのに、もう首が持ち上がらないようです。

少ししつこく首を持ち上げると、少しだけ口が動いたけど、その直後、少し苦しそうに立ち上がりもぞもぞすると、お尻からそのまま出てしまっていた。

そのとき、もう無理だ。消化する機能すら失われていることに気づいたはずなのに、私はまだ認めきれず、泣いた。
お尻をきれいに拭いてあげて、タオルをしいてあげた。きれい好きな猫ちゃんだから、お尻が汚いのはすごく嫌なはず。

顔は相変わらず表情がなくて、もうあの世を見ているみたいな目だった。
でも、認められなくて、私は、子供を迎えに行って待つ車の中で、嵐の中、大泣きした。
涙だか雨粒だか分からないくらい、本当に激しい雨風のなか、大声でたくさん泣いたと思う。

もう間もなく会えなくなるのは分かっていた。
でも、直前になればなるほど、意外なほど心は準備できてなくて、認められない弱い情けない自分がいた。

その夜は、猫を直視する勇気がもてなくて、あまりに心が苦しくて、2階に上がり、夢を見ないように、黒いパワーストーンブレスレットを腕に付けて寝ました。
昨日みたいな怖い夢を見たくなくて。
でも思えば、あれが猫ちゃんからの最後のプレゼントだった、、。

私の愛猫は、たぶん、昨夜既に死んでいたのです。
肉体的にではなく、魂がこの世になかったということ。
猫は、魂の状態で、深夜に体から抜け出て、私の夢の中で会いに来たのでしょう。
最後のお別れと感謝を伝えに来てくれたのかもしれない。

昨日、寝る前に見た猫と、今朝見た猫の姿は、明らかに違っていました。
昨日まではまだなんとか足を引きずりながら起き上がったり、首を上げて水を飲んでいた。つまり、まだ猫には自分の意思もあり、動く力も少しだけあった。
しかし、今朝の猫にはそれは感じられない。抜け殻のようでした。

たぶん猫は、昨夜、父の布団の中で、静かに亡くなっていったのだ。
魂は、肉体から抜け出し、安らかな状態で、私の夢の中で会いに来てくれたのだろう。

本当にリアルで柔らかな感触と、はっきりしたゴロゴロ音だった。そして、明るい優しい雰囲気のあの猫そのものでした。

父の布団の中でぬくぬくとしながら、夢うつつなまま魂は肉体を離れ、まさに、夢の中に出てきたのかもしれない。

そして、抜け殻のような猫の肉体は、もう自力で動くことはなく、その晩は、父が抱いて移動させ、寝室のコタツで眠らせてあげたそうだ。その間、こたつのスイッチを付けたり消したりし、脱水症状にならないよう気を配ってくれたそう。

そんな父の気遣いがあったにも関わらず、私は翌朝、ただお腹だけがかろうじて上下し、息をしていることが分かる猫に、水を与えてしまった。

もう首も口も動くことはない。あれだけ過敏だった耳に触れてもピクリともしない。既に数日前から食べ物を鼻に近づけても無反応だった。
聴覚、嗅覚、触覚、視覚など、すべての感覚が穏やかに失われていくのが老衰と聞く。まさにその状態に見えました。

無理に流し込んだ水が器官に入ったのだろうか。首をわずかに横に動かし、何か反応するのかと期待すると、そのままゲーッと黄色い液を吐いて、目と口を苦しそうに見開き、前足を硬直させた。
父が慌てて抱き上げ、そのまま、父の腕の中で息が止まっていた。たぶん1〜2分程の出来事だったかと思う。

全員で泣いたし、父も私を責めて怒りながら泣いたが、そこにあるのは虚無感でした。
猫の気配なんてどこにもない。死んだのに死んだという区切りが感じられない雰囲だったのです。

猫が死んだ感じがしなかった理由は、そのときは、魂なんてないからだと思いました。
しかし、違うのだ。きっと猫の魂は、とっくに肉体から抜けていたのだ

前々日、私の夢に出てきたあの時にたぶん、猫の魂は、肉体を離れていたのだ。
だから、苦しそうな最期に見えたけど、苦しくなかったかもしれない。

肉体の反応として、水が器官につまり、吐き出し、僅かに動いていた心臓が止まった。
しかし、魂は体にはなかったため、痛みなどの感覚はなかった可能性がある。

幽体離脱をした人の話では、事故にあって傷つき、寝ている自分を天井から見ていたとき、痛みは感じられなかったとのことです。
だから、肉体を離れた魂(意識)は、痛みなどの感覚はないということが言えます。

そのように思うことで、猫を最期に苦しませて亡くならせてしまったことの罪悪感から、少しは開放されることができました。
もちろん、可能性でしかなく、苦しんだか否か分かるのは猫本人しかいないのだが。

おそらく、猫が夢に出てきた夜、猫の魂は、ほとんど肉体を抜けていたのだと思う。
そして、翌日、私が水をあげたとき、少しだけ動いたり下痢をしたときに正気に戻り、びっくりしたり苦しんだかもしれない。

魂は、肉体をほとんど抜けていたが、完全には肉体から切れていないので、なんらかのショックで肉体に戻ることもある。そんな状態だったのだろう。

人間を埋葬するときには、呼吸や心臓が止まってから、24時間経過しないと火葬できない決まりらしい。
これは、心臓が止まってからも稀に息を吹き返すことがあるためというのもあるが、それだけではない。

魂には、肉体と繋がれた糸があり、その糸が完全に切れるのに24時間かかるというのも理由らしい。

猫の場合は、人間と違うので、24時間より短い可能性もあると思う。
私の感覚では、だいたい2〜3時間程度ではないかと思う。

猫の死後、遺体をダンボールに置き、数時間経つと死相がよくなり、そこらへんを猫が歩いているような気配がすると前述しましたね。
その感覚が正しいとしたら、猫は死後、何時間か経過して、肉体を離れたのではないかと思うのです。

そして、猫の死後には、他にも驚くようなことがいくつか起きました。



○虹の橋は実在した?猫を埋葬した午後に起きた不思議な出来事!


猫の死後、すぐにお別れするのも悲しすぎるので、心の整理を付けるためにも、1日だけダンボールで寝かせ、弔うことにしました。

花を添えてあげ、お線香をあげたり、鐘を鳴らしたりし、猫への感謝の気持ちをたくさん伝えました。
一度できがすまないので、涙があふれるたびに、何度も線香をあげて猫の名前を呼びました。

猫の遺体は、死後も毛がふさふさとして美しく、閉じてあげた口元には、かわいらしいキバも見え、丸いかわいい肉球、ニョキッと見える爪も固くて、まだまた生きられそうな丈夫な状態に見えました。

でも、背骨はゴツゴツと浮き出ていて、死ぬ2か月前くらいから徐々に食が細くなり、吐いてばかりいたのを思わせます。

台風の翌日で、ポカポカいい天気の朝でした。最期の日は、こんな日差しの中で日向ぼっこしながら眠らせてあげたかったなと、昨夜の台風を恨めしく思いました。
数日間天気が悪くて寒く、やっと晴れたのに、、。悲しいです。

遺体の腐食を心配し、父が夜中にダンボールごと、寒い外に出しました。
私は、密かにダンボールを少し開けて猫のかわいい顔を見て、襟足やしっぽの毛をもらいました。
昼間、ひげも数本もらいました。爪も欲しかったけど、固くてやめました。

そしてついに翌朝、9時頃、父が庭に穴を掘り始め、最後のお別れをして、土に埋めました。
腐敗すると雑菌が繁殖することを恐れ、最後はかなりあっけなく、父がそそくさと埋めてしまいました。

本当はもう少しだけ顔を見ていたかった。それくらい、痩せ細っていたとはいえ、きれいな死に顔でした。

昨日は食欲が全く出なくて食べ物の味もしなかったのだけど、その後は、パンを家族で美味しく食べました。
悲しいけど、猫の姿が土にもぐってしまってからは、もう何もすることができないし、諦めもあったからです。

家にいると、そこかしこに猫が死んでいくときのかわいそうな様子が思い出されてしまい、辛いので、出かけることにしました。子供もいるので泣いてばかりもいられませんし。

子供向けのイベントがあり、そこで、プラバンアクセサリーを作りました。
死んだ猫のことを思い、生前の一番元気だった頃の様子を思い出し、絵を描きました。

描いている間も、イベント会場にいる間も、外で青空を眺めるときも、そこかしこに猫の姿が思い出され、まるで、空気全体に猫の存在があるように感じました。

広い空間の中、宇宙とひとつになったのだと悟りました。
猫の魂は、ここかしこ、すべてに広がっている。自然や空気と一体化して無限に広がり、私達を包んでくれているのだと感じました。

ふとしたときに涙は熱く、とめどなく湧いてきます。
家族全員が同じ気持ちになりました。
そのオーラは澄んで大きくなり、何か見えない力になって、私達の周りを囲んでいるように感じました。

そして、その日の夕方のことです。
とても美しくて不思議な物を見ました。

晴れた空に突然、サーッと黒い雨雲が広がり、夕立が降ったのです。
ちょうど、イベントから家に帰り、家に着いた頃です。
庭に埋められた猫の遺体を思い、雨に打たれて寒くないかと母と心配しました。

部屋に戻り、埋められた場所を母と見つめていたとき、父が外から呼ぶ声が聞こえました。
何かと思って外に出ると、素晴らしい光景が広がっていました!

今までの人生で見たことのないような、素晴らしい虹の橋が、空一面にかかっていたのです!!



それは、ちょうど、猫の墓のある方角に、家全体と、猫の埋められた場所を囲むように、きれいに虹のアーチがかかっていました。
そして、もう一つ驚いたことが、、。

それは、なんと、虹の上にもう一本虹がある!!
ダブルレインボーだったのです!!!

これには、本当に驚きました。
家族四人で、しとしと降る雨に打たれながら、美しい2本の虹の橋をうっとりと眺めていました。

こんなにはっきり、鮮やかな色の虹が2本も見えたのは、41年間生きてきて、本当に生まれて初めてのことでした。

思えば、17年という、私の人生の半分近くも一緒にすごした猫だったのですね。
その猫が今、本当に虹の橋を渡ったのかもしれません!!
ありがとう!!!
私は心の底からそう叫びました。

猫が見せてくれたマジカルレインボーなのですね。
なんとなくだけど、だけどはっきりと、猫は今自由になったんだ。ちゃんと楽園に行けたのだという気がしました。涙が出ました。

そして、その後のことです。私が「虹の橋」というポエムの存在を知ったのは、、。

何気なく、ペットの死についてネットで調べていたときに、その存在を発見し、再び驚きました!
やっぱり、死んだ猫が飼い主に愛を伝えてくれた。それがあの虹だったのだ!!

そして、その後、もうひとつ、とても不思議なことを知りました。
それは、猫が、私だけではなく、家族の夢の中に出てきたというのです。

○猫が死後夢に出てくる理由は?夢や気配を通じて、最期に飼い主に伝えたかったこと


残念ながら、あの夢の後、猫ちゃんが私の枕元に現れることはありませんでした。
しかし、父の夢には出てきたというのです。そして母にも!

死の翌日かその次くらいに、父の夢には、はっきりと亡くなった猫が出てきたと聞きました。
何気なく聞いてみたのですが、出たというので驚きました。

それは、生前の一番元気だった頃の猫ちゃんと分かるもので、目だけがとても印象的だったそうです。
ビッと父の目をまっすぐに正面から見つめていて、とても力強かったそうです。

何かを訴えているような感じ。「感謝」の気持ちではないかと父は言ってました。

最期の瞬間、猫をパッと抱き上げたのは父でした。そして、魂が抜けたようになる前の晩、一緒にねたのも父。亡くなるときの部屋も父の寝室。
誰に一番感謝してるかって言ったら、もちろん父でしょう!

そして、死んだ翌日、母の夢にも現れたようです。
それは、弱々しく寝ている猫ちゃんが現れ、そのまますーっと消えてしまったそうです。

母は、少し認知症気味なので、猫の死を認識するのに時間がかかり、まだ生きてるのかと思ったら、あ、死んだんだと思い出し、泣くようなことが続いていました。
そんな母にも理解できるよう、そっと夢の中で死を伝えに来てくれたのかもしれません。

それから、夢ではありませんが、私も少しだけ不思議なことがありました。
それは、猫の死んだ翌日です。あの虹が見えた日だったと思います。

寝る前に、子供に読み聞かせをしていたときのこと、なんとなく、明るい雰囲気が漂いました。
明るくて懐かしい、とても優くてかわいい雰囲気。

生前の猫ちゃんは、しょっちゅう、私の寝室に遊びに来ていました。
それも、なぜか、寝る前に子供とふたりでくつろいでいる時とか、母も混ざって3人でふざけている時に、スーッと入ってくるのです。

楽しい家族の会話に混ざりたいかのように、スッと現れる猫ちゃんでした。
明るい雰囲気が大好きなのでしょう。泣いているところには現れません。

子供と本を読みながら、猫ちゃんが一緒にいるような雰囲気がすごくしました。
そして、それはいつもどおり、数分のことで、また気まぐれに猫ちゃんは、スッと部屋から出て、トコトコと階段を降りておじいちゃんの部屋に行ってしまったような気がしました。

その晩は、父の部屋で寝たかもしれません。そして、その日に、父が夢を見たのかもしれませんね。

そして、それからは、残念ながら、猫ちゃんが夢にはっきり出てきたり、気配が寝室ですることはほとんどありません。

一度だけ、後ろ向きに寝ている猫ちゃんが夢に現れ、首の付け根からかわいい匂いがするくらいにリアルになぜなぜする夢を見ましたが、なぜかこちらを向いてくれません。
そばには、10年ほど前に死んだ別の猫ちゃんがいて、こちらをじっと見ていました。2匹は一緒に飼われていました。

最近、少しその猫の話を家族でしていたのですが、写真などを見たわけではなく、姿形は忘れかけていました。
しかし、夢の中では、ぱっちりとしたあの子特有の目が印象的で、生きているかのように鮮やかでした。

虹の橋を渡った先に、その子がいて、再会を果たしていることを想像し、少しほんわか、嬉しくなりました。

昼間は、餌箱のあった辺りに猫ちゃんが歩いてる気がしたり、父の部屋のコタツあたりでぬくぬく日向ぼっこしているような気がすることはありました。が、気配というほどではなく、気のせいかも。

そして、死後35日ほど経った今は、特に気配がすることもなくなりました。
もう成仏したのかもしれません。
老衰で亡くなり、大往生の部類に入る猫ちゃんなので、この世に未練もないのかもしれません。

もともとあっさりした性格の猫ちゃんでした。
そうでなくとも、猫は犬と比べて、自分勝手で自由気ままと言われます。

忠犬ハチ公なら、虹の橋を渡ってからも、飼い主を待ち続けるかもしれませんが、猫はそうはいかないのではないでしょうか?(^_^;)

しかし、それでも私は良いと思えるのです!本人が良ければ!

待っていてほしいと願うのは、人間の勝手ではありませんか。
猫は、こちらの世界のことなんて忘れて、旅に出たいかもしれません。
未練があってこちらを振り返って泣いていたり、自由になれない猫ちゃんを想像したくはありません。

こちらとしては、確かに寂しさもあります。本音を言えば、時々でもいいから、飼い主を思ったり、夢で会いに来てくれたらって思います。
でも、それで猫が猫らしく自由になれないのなら、かわいそうです。

猫には、ペットとしての側面と、野生の猫としての側面があります。
ペットとして私達人間につかえてくれたことに感謝しつつ、死後は、猫らしく、自由に旅をして欲しいと思います。

それでも、私達は、絶対にお前のことを忘れません!!
私にこれから出来ることは、猫ちゃんの毛をメモリアルペンダントにしまい、大切に胸につけることくらいです。

美しい自然に会うことがあれば、ペンダントを身に着けていきます。そして、猫のことを思いながら、自然の美しさに魂を重ねます。

魂って、死後の世界って、本当に何なのでしょう?
生きている限りは、誰にも分からない秘密の世界。しかし、その答えを自分なりに考え、感じることができたのは、本当に愛猫のおかげです。
ありがとう、、。

今まで以上に、生きていることの奇跡に感謝し、この世で共に生き、関わる人たちとの縁を大切にしようと、心から思わせてくれました。

肉体は滅びても、これからも永遠に胸の中にいるよ。
魂、、それはきっと、この世にいてもあの世にいても同じ、ひと続きのことなんだよね。。



○死後、包まれているような感覚は、守護霊なのか?生と死は似ていて繫がっている?


猫が亡くなってからの数日間は、そこかしこに猫の存在を感じるような、大きな光に空ごと包まれているかのようでした。

生きていたときよりむしろ、死後のほうが猫が私達のそばにいるような不思議な感覚が続いたのが忘れられません。

私の中にも外にも、あらゆるところに彼が存在しているような感覚は、とても優しくてありがたく、温かいものでした。

見えない何かに守られているような、猫の意識の中に溶け込んでいるような感覚。
目に見えないエネルギーや宇宙と生死の繋がりを感じました。

私達の存在はひとつ。自然も人間も宇宙も皆一つで、平等なのに、それがわからないまま、我欲にかられて生きていたことに気づきました。

そんな壮大な真理に気づかせてくれた
猫の死は、神のように尊い。猫も私達もすべて、神の一部で、尊いのだと思いました。

死ぬ前はただなんとなく共に時を過ごしていた愛猫。死ぬとまるで私の中に住んでいるように近くなって感じるのが不思議です。
姿はないのに、前より私の中に強く感じられ、力をくれるのです。

私は、前よりもへこたれなくなりましたし、物やお金、損得ではない、見えないエネルギーや波長、全体の流れを考えるようになりました。そして、自分や周りの人の尊さも感じます。

自分は主役ではなく、宇宙や波動の一部でしかない。しかし、決して微々たる存在ではなく、宇宙そのもののように大きくもあると感じるようになりました。

分離した個々の存在だった猫は、肉体を離れることで、今は私達や自然とひとつになったかもしれません。

宇宙は、ビックバンで誕生し、膨らみ続け、死ぬと、また爆発して誕生し、延々と生死を繰り返すと聞いたことがあります。
宇宙空間の始まりと終わりはいわば、同じことなのです。

私は、36で初めて子供を産んだとき、そのあまりの苦しみと、あっけなく産まれた瞬間に、生と死は似ていると直感しました。

死ぬときの苦しみや恐怖は、産みの苦しみや恐怖に似ている気がします、未知の世界や変わることへの恐怖もあります。

そして、誕生したときの無感覚さ、あっけなさは、死ぬ瞬間と似ているのではと思うのです。
想像だけど、死ぬ瞬間って、死ぬまでの苦しみと比べるとあっけなくて、本人も無自覚なんじゃないかと思うんです。

産んだ瞬間もわからなくて、気づくとオギャーと声がして、周りに祝福されたのが印象的でした。
産むまでの地獄のような苦しみに反するあっけなさだったのです。

だから、死ぬときもこんな感じかなと思ったりしました。死ぬまで苦しいけど、死ぬ瞬間は、気づいたら死んでるみたいな、、。

生と死はすごく似ていて、繫がっているのだとしたら、、
まるで宇宙の生と死みたいに、ビックバンを繰り返すのだとしたら、、。

死は、新たな生の始まりかもしれない。生まれることが死への始まりであるように、、。

愛猫の魂は今どこへ??
新たな始まりを準備しているのでしよょうか?本人でさえ気づかないうちに、、。

○49日の夜見た不思議な夢!


そして、この記事を書いてから何日か(2週間くらい?)経ちました。12月に入り寒くなりました。

明け方、不思議な夢を見たんです。
詳しくは思い出せないけど、なんとなく、光に包まれた草原にいるような爽やかな夢した。

私の愛猫が、うさぎか何かわからないけど、違う生き物に生まれ変わり、私達に可愛がられて幸せそうに笑っている夢だったと思います。

はっきり思い出せないのが残念ですが、そのような印象がしました。
隣で寝ていた子供も、珊瑚の海でママと泳ぐ楽しい夢を見ていたのと言いました。

最近子供が悪夢をよく見るので心配していたのです。
昨夜は、父が急に発熱して倒れたので違和感がありました。めったにこんな事はない人です。風邪らしい症状もなく、熱だけ出たのです。

父は、猫を看取るまで一緒に寝たり、看取るときも抱きしめたりし、猫の死を一番そばで支えてあげていたので、連れて行かれるかと思ったり、、。

そして、今朝不思議な夢を見ていたのと見たので、試しに日にちを数えてみました。

猫が亡くなったのは、10月26日の朝でした。
そして、その日を含めて今日まで数えてみると、、
6+30+13、、

なんと、ぴったり49日ではありませんか??
昨夜は、13日の金曜日。しかし、夢を見たのは14の朝かもしれないので、厳密には50日かもしれないけど。。

そして、私は法事などに疎いので知らなかったのですが、先程、ネットで49日の意味を調べてみたのです。すると、、

49日は、魂が生まれ変わる日らしいということが分かりました!!
それまでは、この世とあの世を彷徨う期間(死を悟るための期間)、生前の行為を省みる期間などがあるそうです。

そして、49日になり、ようやく、次の何かに生まれ変わるのだそうです。
50日という場合もあるそうですが、どちらにしてもだいたいこの日数です。

私は、これを知り、またまたとても不思議な気持ちになりました。

虹の橋についても、49日についても知らなかった私ですから、意識的に虹を探したり、49日を意識して眠りについたわけではありません。

ましてや、生まれ変わる日付が49日だなんて、知らなかったので、夢に現れたのは本当に不思議です。

しかし、とても幸せで温かく、気持ち良い印象の夢だったことは間違いなかったので、愛猫が幸せに向かっていることが実感でき、安心しました。

死んでからしばらくは、泣いていて、涙が出なくなってからは、落ち込んで沈んだ気持ちになったり、子供の前でも暗い顔をして、子供に怒られることが続いてました。
  
死への恐怖が消えなくて、いつか私も、そして、最愛のこの子も愛猫のように朽ち果てて土の中に眠る運命かと思うと、生きていることの儚さ、無情さを感じていました。

子供が眠ったあとも、可愛い寝顔を見て癒やされるより、死への不安がよぎり、いつか誰にも必ず訪れる運命を否定できない悲しさと絶望がわくこともありました。

感情移入しすぎると辛いから、子供を前よりべったり可愛がらないように避ける自分もいました。

そんな気持ちは子供にも伝わり、子供も怖い夢を見るから寝たくないという日が続くようになりました。

でも、なぜか昨日は、私達二人とも親子揃って楽しい夢を見ていたのです。

今は不思議と、死への恐怖が薄らいでいます。
私のかわいい愛猫は、死後、楽になった反面、不安や寂しさもあったかもしれませんね。彷徨っていたのかもしれませんね。

でも、49日という節目を迎えて、何かしら変化を遂げたように思います。そしてそれは、とても幸せな変化だったように思えて、、。

死後の世界を知る人はいません。、だからみんな死ぬのが怖い。痛みだけでない、死後なくなってしまうのも怖い。
だけど、なくなってしまうわけではない。どこかにそんざいしている、、、

現世の私達と死後のペットの魂は、見えない意識の世界で確実に繋がり続けていると感じました。

私の周りにも、飼い犬が、死後すぐ、そして1ヶ月少したった頃に夢に出てきたという人がいました。
あまりに同じタイミングなので驚きました。

やはり、死後の世界は何かしら存在すると感じます。
それは、単なる希望とかではなく、本当に今回、実感をしているのです。

この世でもあの世でも幸せになれるよう、刹那的な我欲にとらわれることなく、自分の心の声に従うことが大切と悟りました。

とても大切なことに気づかせてくれた、神のような愛猫に、心から敬意と感謝をしています。
ありかとう。そして、心から幸せになってね、、愛している!!

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