猫に死後の世界はある?家にいる気配がしたりそばにいるのは成仏してないから?(体験談)

愛猫が亡くなってから1年半が過ぎようとしています。長いようであっと言う間。もう一年かという気がします。

亡くなってからも写真を見たりしているせいか、心の中に常にいます。一年経ってもまだ、仕草や声、すり寄ってくるときのシッポの立て方などを覚えており、身近に感じてしまいます。

しかし絶対にもう会えないと思うと、悲しくもなります。涙を流す時期はとうに過ぎましたが、愛しい気持ち、感謝の気持ちは消えません。

↑愛猫が旅だった翌日、愛猫の毛をもらい、プラバンで作品を作りました


猫ちゃんと過ごした大切な日々。猫にも死後の世界ってあるのでしょうか?


猫や犬などペットにも魂は存在する!死後、虹の橋を渡るって本当?霊になって会いに来ることはある?



よく言われるのは、ペットは死んだあと、虹の橋を渡るということです。「虹の橋」という歌が海外にあるそうで、検索してみてください。私は、愛猫が亡くなった翌日、この詩を読んで涙が止まりませんでした。

死後、ペットは、虹の橋を渡り、その先には楽園があるそうです。そこで楽しく幸せに暮らしながら、一つだけ足りないものを待つそうです。そうそれは、愛してくれた飼い主さんだそうです。

この詩を読んで、猫が楽園を楽しく飛び回っている想像をすると、慰められ、涙が出ました。しかし、飼い主を待つというフレーズに関しては、、猫はそれはないなって(;^_^A

冷めてるかもしれませんが、猫って自由じゃないですか?飼い主さんを気丈に待ち続けると言う想像ができなくて・・

うちの猫は、根っからの自由猫で、飼い主に抱っこされるのすら嫌がる気ままさでした。束縛されるのが大嫌いな猫にとって、飼い主を待ち続けるというのは不自然に思えます。

猫は犬と違い、人間にそこまで忠実ではありません。猫好きとしては、そこがまたたまらなく愛しい性質でもあります。が、逆に言うと、飼い主がいなくても平気ということです。

うちの猫も、生前はしょっちゅう脱走していましたし、戻ってくるのは決まってお腹がすいた時でした。安全に餌をもらえる場所の確保という点で人間を利用しているようにさえ見えます(;^_^A

しかしそんなところを含めて大好きな猫!猫好きには分かるのではないでしょうか?私は猫の自由奔放で、独立心の強いところが大好きです!

というわけで、猫があの世で飼い主さんを待っているという想像はできませんし、また、待っていてほしいとも思えません。長い時間私たちのことを待っているなんて、考えたらかわいそうで。。

天国に行ってもあの子らしく、猫らしく過ごしていてほしいのです。もちろん、たまに思い出してくれたら嬉しいけど、それがあの子の望むことでなければ思い出さなくてもいいです。でも私はずっと覚えてますけどね!

子どもでもそうですよね。本当に愛していれば、手放す時期も必要です。私の親は、自分の不安のために、子供を縛り付けるタイプでした。私は、常に親に遠慮する癖がつき、恋愛や結婚にも不満が残りました。それは本当に子供の幸せを願っているのとは違います。

親になってはじめてわかったのですが、自分の感情(寂しさ)で相手を束縛することは愛情ではありません。エゴです。ですから、猫さんに対しても敬意を持ち、あの子の自由に、前を向いて旅立ってほしいのです。

オスの猫ちゃんですから、メス猫と比べても自立心が格段に強い気がします。オス猫は、去勢しないと家出しますし、もともと人間の言うなりになりません。雌猫はもう少し甘えん坊で、構って欲しがります。

そのようなわけで、あの子は、死後もこちらをほとんど振り返ることなく旅立ったと思います。私にも直感として、そう感じさせるものがありました。

亡くなる直前、夢に現れ、感謝を伝えに来た愛猫


愛猫が亡くなる前日、私の夢の中に現れました。元気いっぱいにソファ―の上でゴロゴロし、「生き返ったよ!」と得意げに見せました。私は涙を流して喜んだのですが、突然暗がりに父が現れ、「●●はもうだめだよ(助からないよ)。」と言ったのです。

そこでハッと目が覚めたのですが、ものすごい胸騒ぎがしました。

その翌日、猫ちゃんは身動きすらとれないほど弱ってしまい、見た目にももうダメだと完全に分かりました。そして翌朝、息を引き取りました。私たちに見守られながら。

それからは、夢にはっきりと現れることはなく、気配も感じません。ただ、猫が亡くなった当日の午後、見たことないような美しいダブルレインボー(二重の虹)が出ました。

猫を最期まで布団に入れて暖めながら寝てくれていた父が発見しました。死後、父の夢には猫が現れたそうです。はっきりと目を見開いて、感謝の気持ちを伝えた後、ぼわっと暗闇に消えたそうです。

最期まで一番猫を機にかけてくれていた父。その父に、無事、虹の橋を渡ったよ!と猫が知らせてくれたのかもしれません。朝から晴天だったのに、急な夕立が一瞬だけサッと降り、虹が現れたのです。

あの美しい虹が出た日のことは忘れません。猫が虹と一体化したような、虹だけでなく、空や空気、宇宙とすらひとつになり、私たちを大きく包んでくれていました。猫にも魂があり、それが宇宙に還ったのだと悟りました。

メス猫の魂の方が長く家にいる?死後、気配を感じたのは成仏できてないから?


悲しいお別れでしたが、意外なほどあっさりとあの世に行ってしまった猫ちゃん。残された方がとても苦しいのだけど、猫ちゃんはもう楽になっている、旅立っている。。そう思うと、引き留めてはいけない気がしました。

この世に未練なく、新しい世界(死後の世界や来世?)に旅立つこと。これが成仏というものなんだなーと、改めて感じました。

そばにいて欲しい。死後も覚えていてほしい。そう思う気持ちはやまやまですが、それはこちらの都合なのです。猫ちゃん的には準備OK.この世に思い残すことはないのでしょう。

もともと人間にべたべた甘える猫ちゃなかったし、霊になるとお腹もすかないのだから、こちらを振り返る理由もないのかもしれません。

生前、人間と楽しく過ごせたこと。かわいがられたり、美味しい餌をもらえたこと。この世に思い残すことがなく、死を受け入れているからこそ、旅立てるのかもしれません。

これに対し、成仏できない猫もいるんですよ。それは、10年ほど前に亡くなった猫ちゃんなんですがね。メスのとてもかわいい顔をした猫ちゃんでした。

その猫ちゃんは、賢くて、見たことないほど美しい目をしており、人間で言えば、すごい美人さんでした。鼻に黒いシミがあるのだけが難点ですが、それ以外の点では、しなやかな肢体といい、しっぽといい、色気たっぷりの猫ちゃんでした。

甘えた猫なで声も魅力的で、人間だけでなく、周りのオス猫さんたちの視線をくぎ付けにしていました。

その頃、近所では猫の放し飼いが一般的だったので、多くの野良猫が庭に集まってきては、彼女を求めた熾烈な争いが繰り返されていました。

モテモテの彼女は、毎年たくさんの子供を産み、育て、母としてもますます強く、美しく、色っぽくなっていきました。

そんな美しい彼女は、野良猫から羨望のまなざしで見られていたかもしれません。メス猫からの嫉妬も受け、喧嘩して傷ついて帰って来たこともありました。そんなときは、動物病院で治療も受けさせてもらえます。

野良猫からの羨望のまなざしを受けていた彼女。賢く美しく、スタイル抜群、餌や安全な住まいもある。しかし、ひとつだけ足りないものがあったのです。

それは、飼い主の愛情でした。

もちろん、私たち飼い主は、彼女をかわいがっていたのですよ。しかし、彼女が求めていたのは、もっと贅沢なもの。それは、「自分だけをかわいがってほしい!」という、まるで人間の兄弟姉妹が感じるような願望だったのです!

猫は嫉妬深いなどと言われますが、これは本当です。特にメス猫はそうです。オス同士は仲良くするのですが、メス猫は難しいです。「私だけが女よ!」みたいな猫ちゃんだったのです(;^_^A

こんな生意気なところが、うちの親の気に障ったようで、うちの父母は、彼女をかわいがらなくなりました。そして、もっと性格のよさそうな、つまり嫉妬深くないオス猫を可愛がり始めました。そう、それが、先ほどのオス猫ちゃんです。

私だけは相変わらずメス猫の方をかわいがっていましたが、大学進学とともに上京し、猫と会うことはほとんどなくなりました。年に数回、正月とか長い休みのときだけです。

そしてある日、その猫はなくなってしまいました。それは、3月の終わりに私が実家に帰って来たときです。もう30近くになっていた私。メス猫は16歳くらいでした。すごく弱っているのが気になりながら、東京に戻りました。

でも気になるので、2週間後、都合を作り、実家に帰ったのです。その時、車で迎えに来た親の表情で分かりました。猫はもうなくなっていたのです・・・。

私はすごく泣きました。泣いて泣きまくり、風呂の中でひとり、泣きまくりました。とめどなく涙が止まらず、自然に滝のように流れてくるのです。すると、不思議なことがありました。

「バン!!」と突然、風呂のドアが開いたのです。誰もいないのに。その後、ひゅーーっと風のようなものがドアの方から流れて来ました。ドアの外は脱衣所です。風が吹くような外ではありません。

その瞬間、亡くなった猫が入って来たと直感しました。風呂に入っていると、風呂のガラス戸を頭でこじあけて、一緒にバスルームにいたがる猫でした。バスタブのへりにのって、ぐるぐると歩きまわり、すり寄って甘えて来ました。

ああ、今私にすり寄ってきているんだ。死んだことに気づいてないのかもしれない。一番かわいがっていたのが私だったから、まだ甘えたかったんだな。私が東京にいるうちに亡くなってしまったから、私が帰って来たのが嬉しいんだ。。

空中にその猫がいる感じがして、思わずなでなでしました。空気しかありませんが、そこにいるような気がするのです。

その後も、何度も同じようなことがありました。車を庭の車庫に入れるとき、必ず待っていて、「にゃあーー!」と大声を出して出迎えてくれる猫でした。そして足にスリスリ・・毛を擦り付けてくる(笑)

毛だらけになるのを嫌がっていた父母でしたが、私だけはいつも猫の気持ちが嬉しくて、かわいがっていました。猫も分かるようで、私に一番感謝していたかもしれません。

車を車庫に入れるとき、必ずあの猫が、「にゃあーー!」と叫んでいる気がするのです。スリスリしたり、庭をうろうろしていたり、玄関のドアのところで待っていたり。そんな気配が常にしました。

オス猫を飼うようになってから、自分が一番じゃないことが気に入らなかった猫ちゃん。彼女は、愛情に飢えていて、いつも私たち飼い主を外から見つめていました。室内で飼われているオス猫ちゃんを羨ましそうにしていました。

この世に未練があったのだと思います。だから、成仏せず、しばらく家にいた。もしかしたら亡くなったことに気づいてなかったし、受け入れられなかったのかもしれません。

あっさりと旅立ってしまい、全く気配がしないオス猫ちゃんと違い、彼女は、いつも家にいました。そして、数年経つ頃、気づくと、その猫の気配を感じることはなくなりました。

猫が死後夢に現れ、飼い主に伝えたかったこと


死後2~3年ほど経ったある時、猫は突然私の夢に現れました。しばらくその猫のことは忘れていたのですが、はっきりと夢に現れたのです。

猫が、窓の外から室内の人間に向かって「にぁーにゃあ」鳴いています。私は中に入れたかったのですが、母が猫を外に投げ出してしまいました。「なんで◯◯ちゃんばかり!!ひどい!!」

自分の叫び声で目が覚めました。私は泣いていたかもしれません。中に入ろうとするたびに叩いたり、怒鳴られて外に投げ出されていたそのメス猫。見るたびに胸が痛かった私。

それは、子供の頃の私のようでした。

子供の頃、「ピアノをやりなさい!」「~しなさい!!」ばかりで育った私。心から嫌で、SOSを発していた。家に帰るたび、咳が止まらなくて。医者に連れていかれても治らない。それはそう。喘息なんかではなく、「ちっく」だったから。

チックは薬では治りません。心の病気です。母親はたいてい男の子が可愛いと言います。先に生まれた女の子である私は、弟に愛情を持っていかれ、雑な扱いを受けていました。母は否定するでしょうが、子供は敏感に感じるものです。

後から来たオス猫に愛情を奪われたメス猫は、幼少期の私そのものでした。メス猫が家に来た時の溺愛ぶり。そして、その後の雑な扱い。見るたびに胸が痛くて苦しかった私。弟も親の味方をしてそのメス猫をいじめていた。かわいがっていたのは、私一人でした。

可哀想なメス猫ちゃん。亡くなってからも、私にだけは気持ちを伝えに来ていたのでしょう。夢を見た日は、あまりのリアルさで、冷や汗が出てしまった私ですが、その日付を見て更なる衝撃を受けました。

なんと、それは、その猫の命日だったのです!!!

やっぱり、猫にも魂は存在するんだ。肉体とは別の何かがある。そして、それは誰かに伝えたいという想いとなり、死後も生き続けるのだ。。

その夢を見た前後、はっきりとは覚えてませんが、猫の気配がしなくなったのは確かです。最後に私に想いを伝え、すっきりして成仏したのかもしれません。

亡くなった猫の気配がする、家にいるのは未練があり、成仏してないから?


猫だけじゃなく人間にも言えると思いますが、死んでも気配がしたり、霊の存在を感じるというのは、良いことばかりでもないかもしれません。

私の飼っていた猫の場合、この世に未練があるメス猫の方はなかなか成仏せず、家の周りを生前と同じように歩いたり、飼い主のそばに寄ってきたりしていました。

飼い主としては、死んでもまだ猫の気配がするのはちょっと嬉しいです。猫も生前と同じ気持ちでうろうろしているので、特に苦しんでいる様子もないのです。

しかし、この世に何の未練もなく潔く旅立ったオス猫ちゃんと比べると、未練タラタラだったのはメス猫のほうです。未練があるからこの世にとどまっていると考えると、よいとばかりは言えませんね。

では悪いのかと言うとそうでもないです。先ほど言ったほうに、メス猫ちゃんは、霊になった後うろうろしてましたが、特に苦しんでいる様子はなく、生前と同じように暮らしていました。

死んでもなお、この世に未練があり、生前と同じように暮らそうとしている。これは、見方によっては、その猫ちゃんは、生前の暮らしをとってもエンジョイしてたのです。

確かに愛情に飢え、怒りや悲しみを伝えに来た側面もあるでしょう。しかし、オス猫ちゃんと比べ、彼女は、すごく感受性豊かで、変化のある毎日をキラキラと楽しんでいる猫でした。

オス猫の方は、去勢されていたこともあり、一度も恋愛を楽しむこともなく、ただのペットとして生涯を閉じました。ただ日々を淡々と過ごしており、老猫になるころには、起きて食べて排泄して寝る。同じことに繰り返しで、退屈そうに見えました。

メス猫ちゃんの方は、たくさんのロマンスを経験し、子孫も残し、外を自由にかけまわり、猫としてたくさんの経験をした生涯でした。満たされない愛情もありましたが、とても充実して見えました。

この世に未練があるということは、この世がそれなりに楽しくて、まだまだやりたいことがあったということです。退屈で何もやりたいことがなければ、この世に思い残すこともないということです。

やり残すことがある。つまり、やりがいがある人生(猫生)だったのです!まだまだ生きてやりたいことがある!だからこそ、肉体から離れてもなお、大好きなこの世をウロウロしていたとも言えます。

そう考えると、先ほどの「虹の橋」というポエムに出てくるペットたちは、成仏できていないペットたちとも考えれらます。

飼い主を待ち続けているということは、飼い主の愛情に飢えている=満たされないものがある・・ということでもあります。

いいか悪いかは別として、成仏とは、この世に未練がない、つまり、飼い主の愛情をもう求めていない状態、死ぬことを受け入れ、旅立つ準備が整った状態と言えます。

◯記事のまとめ

以上、猫に死後の世界はあるか、実体験を元に考えてみました。

結論としては、死後の世界はあると思います。死後の世界というよりは、魂があると言ってもいいと思います。肉体とは別の何かが存在していると思います。

そして、成仏に関してですが、できるのが一番とは思いますが、成仏のスピードには差があると感じています。早く成仏できるのが必ずいいとも限らないです。

この世に思い残すことがあるということは、この世が充実していたことの表れでもあるので、成仏できずにさまようこともあります。逆に未練がなければさっさと成仏しますね。

成仏できずにウロウロしている時に本人(本猫)が辛いのであれば別ですが、飼い主さんとの日々を懐かしんでいたり、伝えたいことがあるなら、しばらくこの世にとどまっていてもいいと思います。

いずれにしても、猫ちゃんが死後や来世でも幸せになれるように、生きている時にたくさん愛情を与えてあげたいものですね。

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